ハワイ・パールオープン 30年の歩み[28分31秒]

ハワイ・パールオープン 30年の歩み

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ハワイ・パールオープン 25周年特集

Celebrating 25Years

2003年に開催された第25回大会パンフレットに掲載された、特集ページ「Celebrating 25Years」です。



Celebrating 25Years[PDF:約32MB]

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パールオープンの歴史

2007年 第29回大会 タッド・フジカワ選手とグレゴリー・マイヤー選手

2007年 第29回大会
タッド・フジカワ選手と
グレゴリー・マイヤー選手

2009年で31回を迎えたハワイ・パールオープン。スポンサー企業の名を冠することなく育ったこの大会はいったいどのようにして生まれ育ったのでしょうか?

大きな金額の賞金が出るわけでもなく(賞金総額80000ドル)、優勝しても何かの権利を得るわけでもありません。それでも多くのプロ、アマチュアが参加を希望するのです。遠征費も滞在費もすべて自腹。決して安い金額ではないでしょう。

第一回開催は1979年。優勝者は鷹巣南雄プロです。

「選手たちはその年のスタートをできる限りベストな状態で望みたいと思っています。日本の寒い時期(2月)にハワイでトレーニングしながら体を仕上げ大会で試してみる。選手としては絶好のチャンスなのです」と鷹巣プロは大会の魅力を語っています。

「HONDA」の名を敢えて出さずに開催し、プロアマを問わず参加者に広く門戸を開けたこの大会は、かつての従業員に「おやじさん」と慕がわれた本田宗一郎の人柄を多く反映している大会とも言えます。

ひとつの企業がスポンサーになるのではなく、地域で支える大会。それがハワイパールオープンなのです。

故 本田宗一郎(左)鷹巣南雄プロ(中央)尾形次雄 大会会長(右)

故 本田宗一郎(左)鷹巣南雄プロ(中央)
尾形次雄 大会会長(右)

パールオープンはラッキートーナメント

2007年 第29回大会 大会初参加の石川遼選手

2007年 29回大会
大会初参加の石川遼選手

出場した選手の多くがその年活躍することから、選手たちの間でいつしか「ラッキートーナメント」と呼ばれるようになりました。

2007年の29回大会参加選手の中では、高山準平はファイナルQT決勝を通過し、若林舞衣子はプロテストに合格しました。宮本勝昌プロはKBCオーガスタで、近藤智弘プロはJCBクラシックで優勝し、そしてなんと言っても、この年初参戦し13位の成績を残し、その年の「マンシングウェアオープンKSBカップ」で宮本勝昌プロに1打差(276)で最年少優勝を果たした石川遼君(当時アマ)がいました。

ハワイの選手からは全米オープン大会史上最年少15歳6ヶ月で出場したタッド・フジカワ、13歳の天才少女としてデビューしたミシェル・ウィーなどもパールオープンから名を轟かせたプロ達です。

老若男女のプロ、アマが一緒になって参加し交流する。ハワイパールオープンが単なるローカルトーナメントではないという事実がそこにあります。

世界のゴルフトーナメントを取材してきた、スポーツジャーナリストの三田村昌鳳氏は「みんなコツコツと支えあって、無名の選手・地域の選手が一流選手と共に闘って大きくなってほしい。そして自分を見失って、自分がどこの原点に戻ればいいか?ということになった時にパールオープンを見ればいい。自分が帰るところがある。初心を知ることができる。そのためにもこの大会は残ってほしい」と語っています。

「偉大なるローカルトーナメント」ハワイパールオープンはみんなに親しまれているオープン競技なのです。

2003年 第25回大会 ミシェル・ウィー選手

2003年 第25回大会
ミシェル・ウィー選手